【Dick Lee】「Mad Chinaman」30周年コンサートで語った2つのキーワード。
Dick LeeがMCで何度も繰り返していた「identity」「Japan」のキーワード。
これは彼が歩んできた音楽人生を語る上で必須のものだった。
2019年9月15日、シンガポール。
Esplanade Concert Hallで開催された「Mad Chinaman 30周年記念コンサート(Dick Lee's The Mad Chinaman 30th Anniversary Concert)」は、Dick Lee本人が冒頭で「満員だね!!」と喜んでいたように、多くの聴衆で埋め尽くされていた。
Esplanade Concert Hallは屋内管弦楽仕様をベースに作られている構造なのだが、それを生かすかのように、Dick LeeはBraddell Heights Symphony Orchestra、そしてコーラス隊とともに、これまでの代表曲をオーケストラアレンジを施して演奏し続けた。
その中でも象徴的だったのが「Rasa Sayang」。
シンガポールの曲ではない。
元々はインドネシア民謡だ。
アルバム『Mad Chinaman』の1曲目で、Singlishのラップが政府の怒りを買い放送禁止になった(後に解禁)いわくつき(!)の曲である。歌いながら会場を煽り、観客に拳を上げさせるパフォーマンスは、彼の中にある、明るくも強い闘争心に近いものを感じる。リリース当時、建国からまだ間もなく、確立していなかったシンガポールのアイデンティティを音楽によって固めることになったこの曲は、同時に彼自身のアイデンティティ…自分は、そして我々は何者なのかという自問自答の曲だった。
一つ目のキーワード「identity」は、この「Rasa Sayang」だけではなく、インド系の曲「Mustafa」等のMCでも繰り返し口にした言葉だった。プラナカン、中華、インド…シンガポールの多層的な曲をアルバム『Mad Chinaman』以外のところからも続々と紡いでいく。その音楽表現を支えるのが、シンガポールの次世代を担うゲスト達…女優・ラジオDJのシンガポール華人・Denise Tanと、インド系の父・中華系の母を持つ歌手・女優のJacintha Abisheganaden(元嫁)だ。
コンサートの第1章が終わり、Dickが静かに語り出す。
二つ目のキーワード「Japan」についてだ。
今回のコンサートのスポンサーである三菱電機に対しての謝礼。コンサートの末尾のSpecial Thanksではなく公演途中にその謝礼を述べるのは、あまり定例的なものではない。それに続いて彼が口にしたのは、デビューからアルバム『Mad Chinaman』を経由し現在に至るまで、数十年間ずっと支援し続けてきた日本のファンへの謝辞だった。最前列に着席している20名ほどの日本人ファンに起立を促し、地元の観客に紹介するところまでの厚遇である。彼にとって、節目のコンサートで外せない存在だった彼女たちの中には、親子二代で応援し続けている方もいらっしゃるらしい。
実際、この最前列の熱意あるファン以外にも会場に訪れている日本人は会場でかなり見受けられ…現に大阪から来ている僕も含め…Dick Leeのファンコミュニティの中での日本の存在(ファンだけではなく音楽関係者も)の大きさを感じずにはいられない。
1時間半の予定だった公演は2時間を超え、終了。
もちろん拍手の嵐とスタンディングオベーションに包まれたものだった。
Dick Leeの半生を音楽で知る2時間。
そんな節目のコンサートだった。
【追記】この2つのキーワードに関しては、下記URLの、アジアセンターのインタビュー記事(滝口健氏)に詳しいので参照してほしい。どれだけファンブログで長文を用いても、Dick Lee自身の口で語られ、なおかつ素晴らしいインタビュアーの体系的な聴取に敵うものではない。
ディック・リー——皮肉と運命とフォークソング:音楽を通じて生み出されるアイデンティティと帰属意識
https://jfac.jp/culture/features/f-ah-fiff2017-dick-lee/
これは彼が歩んできた音楽人生を語る上で必須のものだった。
2019年9月15日、シンガポール。
Esplanade Concert Hallで開催された「Mad Chinaman 30周年記念コンサート(Dick Lee's The Mad Chinaman 30th Anniversary Concert)」は、Dick Lee本人が冒頭で「満員だね!!」と喜んでいたように、多くの聴衆で埋め尽くされていた。
Esplanade Concert Hallは屋内管弦楽仕様をベースに作られている構造なのだが、それを生かすかのように、Dick LeeはBraddell Heights Symphony Orchestra、そしてコーラス隊とともに、これまでの代表曲をオーケストラアレンジを施して演奏し続けた。
その中でも象徴的だったのが「Rasa Sayang」。
シンガポールの曲ではない。
元々はインドネシア民謡だ。
アルバム『Mad Chinaman』の1曲目で、Singlishのラップが政府の怒りを買い放送禁止になった(後に解禁)いわくつき(!)の曲である。歌いながら会場を煽り、観客に拳を上げさせるパフォーマンスは、彼の中にある、明るくも強い闘争心に近いものを感じる。リリース当時、建国からまだ間もなく、確立していなかったシンガポールのアイデンティティを音楽によって固めることになったこの曲は、同時に彼自身のアイデンティティ…自分は、そして我々は何者なのかという自問自答の曲だった。
一つ目のキーワード「identity」は、この「Rasa Sayang」だけではなく、インド系の曲「Mustafa」等のMCでも繰り返し口にした言葉だった。プラナカン、中華、インド…シンガポールの多層的な曲をアルバム『Mad Chinaman』以外のところからも続々と紡いでいく。その音楽表現を支えるのが、シンガポールの次世代を担うゲスト達…女優・ラジオDJのシンガポール華人・Denise Tanと、インド系の父・中華系の母を持つ歌手・女優のJacintha Abisheganaden(元嫁)だ。
コンサートの第1章が終わり、Dickが静かに語り出す。
二つ目のキーワード「Japan」についてだ。
今回のコンサートのスポンサーである三菱電機に対しての謝礼。コンサートの末尾のSpecial Thanksではなく公演途中にその謝礼を述べるのは、あまり定例的なものではない。それに続いて彼が口にしたのは、デビューからアルバム『Mad Chinaman』を経由し現在に至るまで、数十年間ずっと支援し続けてきた日本のファンへの謝辞だった。最前列に着席している20名ほどの日本人ファンに起立を促し、地元の観客に紹介するところまでの厚遇である。彼にとって、節目のコンサートで外せない存在だった彼女たちの中には、親子二代で応援し続けている方もいらっしゃるらしい。
実際、この最前列の熱意あるファン以外にも会場に訪れている日本人は会場でかなり見受けられ…現に大阪から来ている僕も含め…Dick Leeのファンコミュニティの中での日本の存在(ファンだけではなく音楽関係者も)の大きさを感じずにはいられない。
1時間半の予定だった公演は2時間を超え、終了。
もちろん拍手の嵐とスタンディングオベーションに包まれたものだった。
Dick Leeの半生を音楽で知る2時間。
そんな節目のコンサートだった。
【追記】この2つのキーワードに関しては、下記URLの、アジアセンターのインタビュー記事(滝口健氏)に詳しいので参照してほしい。どれだけファンブログで長文を用いても、Dick Lee自身の口で語られ、なおかつ素晴らしいインタビュアーの体系的な聴取に敵うものではない。
ディック・リー——皮肉と運命とフォークソング:音楽を通じて生み出されるアイデンティティと帰属意識
https://jfac.jp/culture/features/f-ah-fiff2017-dick-lee/
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